11年目の地震



今年もまた大きな地震がありました。

お亡くなりなった方々に、ご冥福をお祈り申し上げます。また、被災された方々には、お見舞い申し上げます。

大きな地震と津波に襲われて日常が奪われた11年前を思い出すような地鳴りと大きな揺れ。悪夢が再現されるのではないかという恐怖感に襲われながら、机の下に身を隠した。食器棚の中で食器が崩れ、本棚から書籍が崩れ落ち、床に散乱した。死の恐怖。また日常が奪われるのかという不安。我々は、東日本大震災の後、それ以前とは異なる日常を生きてきた。その後も大きな地震は何度かあった。命が奪われるような災害も何度もあった。コロナでそれまでの日常は奪われた。そして、ウクライナの戦争。

我々の日常生活は、しばしば非日常で覆われる。日常が奪われるという変化、変化は喪失のこと。そして、喪失に対する反応がグリーフだ。

平和な時代が長く続くと、それが日常生活になる。しかし、さまざまな変化がおき、その度に日常は奪われる。時間が経つと、我々は日常を取り戻した様に感じるが、それは元の日常ではない。新たな日常だ。

我々は常に日常を奪われるが、その日常を取り戻す・・・のではなく、自ら新しい日常を作りながら、何とか命をつないでいく。

11年目の地震に思ったこと。

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